Live-Leaf

本誌紹介

第2号
〜融解し浮遊するコトバ〜

巻頭言  吉澤久良

 「Leaf」2号を発行することができた。多くの方々からの励ましのおかげである。心から感謝したい。
 痛感したのは、自分の読みが思っていた以上に縛られていることだった。私たちは知らず知らずのうちに自分の書き方に固まってしまい、読みについてもその延長線上でしかできなくなっている。互評を書くという負荷がなければ、そして自分とは違うアプローチの評がなければ、そのことに気づけなかっただろう。
 句は消耗品ではない。ましてや、一句の背後にある方法論、世界観は消耗品ではない。それらはもっと検証されてしかるべきだった。他者の句を可能な限り明晰な言葉で説明しようと苦しむことで、見えてくるものとそれでもなお見えにくいものとが浮かび上がってくる。見えてくるものがあるのは、句評を書くつもりで読む読みには密度が要求されるからだ。一方、見えにくいものがあるのは、それが自分自身の疑問や曖昧さ、課題に根ざしているからだろう。評で語っているのは、他者の作品についてであると同時に、評者自身の方法論や世界観についてでもあるのだ。見えてきたものも見えにくいものも、私たちの深いところで影響を与えるだろう。こういった読みの作業が自分の作句にはねかえってこないはずはない。想像以上に句と評は連動しているのである。
 きちんと句を読む風土が充分ではない川柳界において、私たちが創刊号で互いに他人の句に向き合おうとしたことは、誇ってもいいのではないかと思っている。四人全員が互評を書くという形は、私たちだけではなく、読者にとっても新鮮な刺激だったのではないだろうか。「Leaf」では、誰が主で誰が従というような意識はない。
 創刊号を出して、一番力不足を実感したのも、一番多くを得たのも、私たち四人であることは間違いない。多くの人にこれだけ自分の句と評をしっかり読んでもらったことは、今までなかった。「Leaf」の掲示板でも、何人かの方との意見交換を通じて句の読みを深めることができた。本当にありがたいことだ。
 力不足は今後の課題でしかない。重要なのは、自分のコトバを探し意見を述べようとする意志である。私たちはそれを、今後も続けていくつもりである。
 なお、今後「Leaf」は基本的に配布ではなく販売するという形をとりたいと考えている。川柳界の「常識」に逆らうことになり、非難されるかもしれないと思う。ただ、ここではなぜそのようなことをするのかという意図を説明するスペースがないので、本号46ページ「『Leaf』の販売について」の方で説明させていただいた。趣旨をご理解いただいて応援していただければ、この上ない幸いである。

Copyright 2010- Leaf All Rights Reserved.