第3号
〜コトバの深部〜
- 『temperatur』を読む やがて背中を噛む 清水かおり
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さて、兵頭全郎の「temperatur」に取り掛かるわけだが、このソネット形式のような一塊ずつの世界を紐解くことに集中すると一句の屹立性を見失いそうになる。が、まず感じたことをひとつ。まるで今号の自分達の句への感想を述べられているような気分になった句だった。
脱ぎながら鳥獣戯画を思い出す
たおれるものそばにモダンな貸衣装
予感より長めの糸が運ばれる
ぼんやりと「脱ぎながら」考えるのは現代人の変り身の早さや、得てして予想外なことになる事象のことなど。そしてどれもたいして違いのあることではないと言いながら時間に運ばれていく人間像が三句にある。これは素直に読んだ場合だが少し普通すぎる。表題は温度である。何よりこの誌で個々が体感しているものでもある。そのためか、「脱ぎながら」「鳥獣戯画」は吉澤の、「たおれるもの」「貸衣装」は私の、「予感より長めの糸」「運ばれる」は畑の句の印象のように読めた。兵頭的遊戯空間にはまってしまったのかもしれない。
今号、兵頭の句は言葉をぶつからせることを避け、句語がそれぞれ自然なつながりを持ちながら一句に構成されている。句の自立を思わせるのはそのせいだ。その上、題詠のスタイルを踏まえ、さらにそれぞれの塊の印象をイメージさせようとしている。こんなことは言葉に細心の注意を払う作者でなければ出来ないことである。
口移し折れそうな台詞の乱れ
はみ出した祝詞チクタク揺れながら
飛び込み台から誓詞の渦のぞく
在処には結詞結局夜空の穴
意味があるのだろうと思わせる。息づいていると思わせる。「口移し」と「折れそうな」「乱れ」はことさら情的に、「はみ出す祝詞の揺れ」や「飛び込み台」と「誓詞の渦」などは、まるで結婚の儀式のようだし、「結局夜空の穴」と締め括る。兵頭がそんな事に足を止めて句にすること自体、言葉とはこのように「思わせる」手段だと言っていることなのだ。「詞」を盛り込んだ四句は面白いと思ったがそれ以上へ発展しなかった。
落ちそうな海の底にはリズム感
タンゴより熱い囁きノブの錆
イミテーション救われたのは鼓動のド
音感で統一された、おさまりのいい句。しかし、この三句、ランダムに入れ替えても句になってしまう。考えると私たちの句はそういう要素を充分に含んでいる。たとえば、自分の句を入れ替えてみてそれで通じる句は一句の必然など関係ないのだろう。そういうものが無いところで句を構築するということも創造の幅広い捉え方としてあるのが現代川柳である。
ディフェンスは枯れようと夜の工場
欲しいとは思わせないが十三夜
夜熱の繁 永続という響きの属
守ってくれたものがなくなる、それは一見何かの終わりのように思えるが、守りがなくなるということは攻めへの転換を暗示させる。そのために「夜の工場」という句語の濃さがある。「十三夜」は樋口一葉の十三夜をどうしても思い浮かべてしまうが「欲しいとは思わせない」の言葉に対象への冷めた視線と「が」という反転でまたその内的な葛藤が現れる。「マスカレード」とは何か。永遠に続く仮面舞踏会のようなネット世界の不特定多数の人間のざわめきを重層的に書いている。ここで使われている「繁」「属」という漢字の的確さは他にないだろう。一字をある世界にたとえて使うとき、充分に言葉の意味を生かしきるためにはその一字にかかる修飾の力がものをいう。
対岸に乳白色の流れ 黙読
真空へ閉じる緋色の硯箱
紺碧を離れてかたまりになる珠
対岸に自分とは明らかにちがう精神がゆったりと流れ「黙読」に集中させられる。「黙読」の耽美が立ち上がる。真空という窮屈な空間に閉じるのは過去の遺物のような硯箱だが鮮やか過ぎるほど紅く、動かしがたい絶大な価値観=紺碧を離れてもまた小さな価値観の集合となっていくものがある。これらはここに主体が存在していると思わせる。しかし、これだけ叙情の雰囲気を漂わせながらも兵頭の語句から句の内実が感じられないのは何故だろう。やはり各句にかかるウエイトの同一感が、テーマを淡々と処理していく作句スタイルに繋がってしまうからか。題詠のテーマとして内実らしきものを書いているという感じは否めない。だが、
つづきにも戸惑いやがて背中を噛む
においては、「つづき」「戸惑い」「やがて」「噛む」の句語に心的な流れがあってこちらの心が釘付けされた。
言葉は簡単に湿り気を帯びたり乾いたりする。テクニックの向こうに読者はそれを感じようとする。隠喩があれば解こうとする。けれども兵頭の句はやはりそんなことを考える必要はなく、ただ書かれた言葉のとおりに思い浮かべていけばいいのだと思った。そうするとこの二十句を通して兵頭作品の内包するものに触れたいという欲求がじわりと上昇してくる。
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