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本誌紹介

第2号
〜融解し浮遊するコトバ〜

《細部に宿る》を読む  吉澤久良

  明日が足りない 残光へ舌買いに
  一億のひかがみ乾く幻灯機
  洞かげる暗唱つづく昆虫記
  腰椎に生えている売れ筋の木
  オブラートあげる 間引かれよ
 「残光」の中を何かに突き動かされて「舌買いに」行く人の後ろ姿。「明日が足りない」から「買いに」行くのだ、と取るのが順当な読みかもしれないが、「残光へ舌買いに」行く人の後ろ姿の風景そのものが「明日が足りない」という異景なのだと読む方が、この句を受け取った気になれる。テーマ詠「剥離」の句であることを思えば、一日が過ぎていくこととは一日が「剥離」していくことだということなのだろう。過去は積み上げられることなく、そのため「明日」も積み上げられることがない。充足されないいらだたしさに追い立てられ、今日も人は「舌買いに」行かねばならない。あるいは、「剥離」しているのは「舌」とも読める。つまり、人はコトバから、人であることから、「剥離」していくのである。生きていくことのやるせなさがじわりと滲み出してくる。「一億」の句も同じモチーフである。「一億のひかがみ乾く」という情況は人間疎外を暗示しており、「幻灯機」という措辞がその情況全体をやわらかく映し出している。「幻灯機」のぼんやりした光に照らされて、句に陰影ができ奥行きがもたらされた。「洞かげる」「腰椎に」の句も、疎外をテーマにした句と読んだ。身体・精神の生理が外在化されてしまい、自己の意志とは無関係にうごめいている気味悪さがある。私だけかもしれないが、放心のようなものも感じる。「オブラートあげる」の寛容から、「間引かれよ」へのめくるめくような落下の感覚。端正な冷厳さとでもいえばよいか。このようなコトバの尖り方に、清水かおりの句を読んでいるという快感がある。
  青白い水際 界隈と呼ばれ
  制約の彼方に哂うアナグラム
  君の精度も終わりある一群
 「青白い水際」「制約」は、清水かおりの心象風景か情況の喩だろう。しかし、茫洋としすぎて句意がわかりにくい。作者は対象に距離を置き、心情を抽象化して表現しているのだが、遠方の風景を描いた素描の段階でとどまっているように感じられて物足りない。「君の精度」の句については、「君」「精度」「終わり」「一群」はいずれも抽象であり、一句が凝集力に欠けると感じられた。
  薬缶をあければ卑近なる生家
  主系列の椿に試練のいとなみを
 「卑近なる」「主系列の」という措辞に生動する力がない。「薬缶をあければ生家」という内容に、その「生家」は「卑近」であるという説明がついた形に読めるからだろう。二句目も同じで、「試練のいとなみを」与えられる「椿」は「主系列」だ、という図式的な読みに陥りかねない。「薬缶」「卑近」「生家」の関係が近すぎることもあって、小さな句になってしまった。これらの句は、例えば、
  空色の器に蝉を入れる人
  夜目あざやかにサーカスの表札
という句の流麗な立ち姿と比べると、ゴツゴツした感じがして、一句がすっと入ってこない。
  子午線は隙なく鉛筆研ぎ果てる
 「空色」「夜目」の二句の流麗な立ち姿の先にこの句がある。今号の句で、この句が一番清水かおりらしいと感じた。この句には清水かおりの精神性が濃厚にある。これは現在時点での私性の一つの到達点だと私は思う。迷い、ためらい、揺らぎ、そういった心のカオスから、表現すべきことをすくい上げ、「隙なく」コトバとして「研ぎ果て」て、この「子午線」の句が成った。
  南国の頭を垂れる鳥を抱く     清水かおり
 この句について、私は次のように書いたことがある。
 《「鳥を抱く」の句は「頭を垂れる鳥」とそれを抱く人間の向うに開放的な空間が広がる。それは「鳥を抱く」主体の視線がおそらく空か海を見ているだろうと読者が想像し、その視線に一体化してしまうからだろう。》(『川柳木馬』121、122合併号)
 コトバが「研ぎ果て」られた時、これは確信を持って言えるが、清水かおりはけっしてうつむかない。「子午線」とは清水の精神が世界に向かって開かれているありようであり、社会性の表れでもある。「鉛筆」とは能動的な意志の喩だ。この凛々しく強靭な精神性が、かおり作品の最大の魅力である。すべての措辞が一句の構造の中で必然性を持ち、しかも美しい抒情がある。
  蛇をまだ飼っているかと夏男くる
 最後にこの句を取り上げたのは、清水の新たな可能性の匂いをかいだからである。前述したように、清水の凛々しさは大きな魅力なのだが、掲出句は明らかに体感温度が違う。句の裏に清水かおりが貼り付いていないのである。私性とは別次元の物語性、虚構の構築性は、今までのかおり作品にはなかったものではないかと思う。清水がこの書き方をも自分のものにしていくとしたら、この句は清水かおりにとって、一つのターニングポイントになるかもしれない。その時、清水かおりの抒情性はどう変質していくか。興味津々である。

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