
創刊号
〜コトバへの挑戦〜
- 巻頭言 吉澤久良
- 四人誌「Leaf」をお届けする。
私たちの関心は《コトバ》にあり、本誌では《コトバ》についてさまざまな思考を積み重ね、《川柳に何ができるか》を模索していくつもりである。
現在の川柳界に流通している「評」の多くは恣意的な感想、感覚だけの読後感であり、一句の構造やそこに込められた認識について説明しようという意識は希薄である。また、「抜く」だけで、句についてほとんど解説されることのない句会大会。出句のほとんどは顧みられることもなく濫費され、また大量に再生産される。現代川柳が抱えているのは構造的な問題なのだ。
本誌で私たちは、雑詠とテーマ詠五句を作る。そして、それぞれが相互に句評を書く。句と句評は両輪である。句と向き合った批評のないところにすぐれた作品が生まれるのは困難である。それに、たとえ批判や否定であったとしても、作品への言葉がほしい。表現者としてのアイデンティティーを求めたいという、このささやかな願望は自然な感情だろう。必要なのは川柳批評の方法の確立である。これがどれほどの難事であることか。この巻頭言が高すぎるハードルとなり、私たち自身が苦しむことは目に見えているが、それでも挑戦すべきであると私たちは考えている。
さらに、句と句評だけではなく、何を表現しようとしているかを知的に考察する必要がある。なぜなら、句とは偶発的単発的な感性の切り売りではなく、世界や人間や現実についての認識から生まれてくるものであるからだ。すぐれた作品はその背後に豊かな知的土壌を持っている。川柳という表現行為が生きていくことの中でなんらかの価値を持ちうるとしたら、おそらくこの意味においてしかない。だからそのために、各号ごとに《コトバ》に関するテーマを決め、それぞれが文章を書く。表現の現場では書き手は常に単独者であるが、他者と一緒に同じテーマに向き合うことで、単独者の思考は影響を受けきっと厚みを増すだろう。一つのテーマについて複数の考察を重ねてみることによって、総合的な問題提起ができれば、という淡い期待がある。
私たちの壁であり支えであるのは、他の三人の存在である。少なくとも当面は、私たち四人が互いに批判しあうことを通じて自分を確認するという内向きの姿勢に傾くことになりそうだ。楽しみである。結果的に本誌の試行が少しでも川柳界への刺激になるならば、望外の幸いである。
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